にっぽんフクシマ原発劇場/八木澤高明
にっぽんフクシマ原発劇場
八木澤高明
買取価格 474円
強烈な印象を与える表紙写真は旧家にあった猩々の面。
海に住む者とも、山に住む者とも地方によって異なっていますがが、どちらでも真っ赤な顔はお酒を好むところからきているようです。
先日の芥川賞・直木賞の選考前ニコ生でも言われていましたが、『震災もの』関連の本は入賞が難しいとの事。
放射性物質の半減期は30年とも100年とも言われているけれど、人間の記憶の半減期は年数にも満たないほど短い気がします。
ニュースや新聞には毎日事故関連の記事が載っているのに、株価の紙面が関係ない人にとっては飛ばすページであるように、気に留める意識が無ければどんどん関係のないモノになってしまいそうです。
筆者は写真家であり、2011年4月から4年間の記録。
今現在は帰宅困難地域になってしまった浪江町の酪農家であった三甁さんを中心に文は書かれています。
ニュースでは報道されなかった事、出せなかった画像など読まなければわからなかった事ばかり…
モノクロ写真が中心ではありますが、インタビューなどもはさまれており、全部読み切った時には結構な重さがありました。
永く住んでいた土地を離れた無力感と家族を失うという二重三重の苦しみの中にいる人たちが大勢いる現実と、事故現場で終息する予定の立たない作業をしている人たち。そういった事に対して具体的に何ができる訳でもない無力感。
今この時期だからこそ、読んだり思い出したりしなければいけないのではないかと思った次第です。
←「紙の動物園/ケン・リュウ 古沢嘉通=編・訳」前の記事へ 次の記事へ「読んでから聴くか、聴いてから読むかはおまかせです。」→