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劇画の栄光の時を味わっっていただきたい。

2015年08月27日 category : スタッフおすすめ本 

この劇画が凄い! 劇画スーパースター烈伝
にちぶんMOOK

少年誌やアニメだけが漫画なのではない!漫画界の一翼を担ってきた「劇画」、その世界と歴史を体系的に網羅!
「ゴルゴ13」や「ルパン三世」、「あしたのジョー」など数々の名作生み出し、漫画文化を片側から力強く支えてきた「劇画」ジャンル。
立体的、複眼的に劇画のことがよく解る一冊です。

 

 

「劇画」と聞くと、写実的に書き込まれた絵の作品の事を指すと思われがちだがそうではない。

「劇画」という名称は辰巳ヨシヒロ氏の考案によるもので、それまでの漫画から一線を画した新しい漫画表現の手法であり、子供向けの漫画と分類されるために作られた青年向け漫画のジャンルだ。

1959年、辰巳ヨシヒロ氏が中心となり、佐藤まさあき氏、さいとう・たかを氏ら7人で劇画制作集団「劇画工房」が結成された。
当時、貸本劇画の読者層は労働者階級の若者であり、また劇画工房のメンバーも同じような階層の若者であった。作風としては、子供向けの漫画と異なり、ハリウッド映画やハードボイルド小説の影響が大きかった。

この新しいジャンル「劇画」は貸本漫画読者の間で人気となり、短編集『影』(日の丸文庫)『街』(セントラル文庫)等、類似誌が多数出版され貸本漫画の黄金期が始まる。

ところが、辰巳ヨシヒロ氏、さいとう・たかを氏、松本正彦の3人が「劇画工房」からの脱退を表明する。その後「週刊少年サンデー」(小学館)「週刊少年マガジン」(講談社)といった週刊漫画雑誌の創刊で貸本漫画業界のビジネスモデルが衰退したことも重なり、貸本漫画は1960年代末で終焉を迎える。

しかし、1965年、当時のトップ漫画家であった手塚治虫氏が「週刊少年マガジン」の連載を降板するという事件が起こる(W3事件)。手塚氏の抜けた穴を埋めるため、マガジン編集部は貸本劇画で活躍していた劇画作家に執筆を依頼。これらの劇画は読者の高い支持を得て、1967年1月にはついに発行部数100万部を突破した。以降、少年マガジンは劇画路線を推進していくことになる。

少年マガジンの人気を見てとった他の出版社からも、次々と劇画雑誌が創刊された。 それらの雑誌には、貸本から商業雑誌に移行後もヒットを飛ばした、さいとう・たかを氏や佐藤まさあき氏、彼らのスタッフだった川崎のぼる氏や、池上遼一氏、南波健二氏、小池一夫氏、劇画調に作風を変化させた永島慎二氏や白土三平氏、つげ義春氏、新世代の梶原一騎氏や宮谷一彦、池上遼一氏、上村一夫氏らが執筆し人気を博した。
「あしたのジョー」「巨人の星」に代表される梶原一騎氏のスポ根ブームもこの時代に重なる。

しかしながら、1972年のあさま山荘事件などをきっかけに、左翼運動の過激化で学生運動が一気に退潮。それと同時にそれまでの劇画は「重く」「暑苦しい」ものとして若者らから敬遠されるようになり、それまで人気を誇っていた劇画は急激に衰退し、劇画の手法を取り入れた新しい漫画の登場で、従来型の劇画は淘汰されていった。

劇画ブーム後も生き残ったベテランや、その後デビューした劇画作家によって今も作品は描かれているが、「ジャンルとしての劇画」は低迷している。というよりは、ジャンル分けそのものが意味を成さなくなったのではないだろうか。
「劇画」ブームと同じくして手塚治虫は低迷する、しかしながら復活を遂げた作品「ブラックジャック」は、まさに劇画の流れの中の作品だと私は思う。

そんな劇画の栄光の時を味わっっていただきたい。

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