カップ焼きそば文学という新しいジャンル!
すっかり朝晩が涼しくなりました。
「暑さ寒さも彼岸まで」お彼岸が来る前にすっかり夏は終了してしまい、散歩の途中の公園では気の早い銀杏が落ちてきています。
背の高いイチョウの木を見上げると、銀杏が鈴なりに、陽の当たりやすいてっぺんの方から黄色になっていて、地面に近い方はまだちょっと緑色の実がぎっしりと(^_^)
「食欲の秋」はじわじわと近づいてきています。
先日ニュースを聴いていたら、NTTの「電報」サービス、深夜受付をやめるとかなんとか。
「電報」って言葉すら、最近では結婚式かお葬式のような時にしか耳にしなくなりました。
若い人なんかは送り方とかを知らないんではないか?とも。
かつては昭和の時代には大活躍した「電報」も携帯電話の普及で登板する機会が減ったのかもしれません。
そういえば夏に結構標高の高い山小屋からでも通信ができるのがわかり驚きました。
携帯で遭難救助の要請があるというのも納得。通信網の発達に驚く影で消えてつつある「電報」の話題でした。
さて「食欲の秋」なので読んで見たのがこれっ!
表紙がどう見ても太宰治、なぜか四角い箱を前に悩んでいる模様…
一部巷ではすでに話題の一冊!
「もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら」
一発目は太宰治の「駆け込み訴え」と思われる文体(^_^)
でも、カップ焼きそばの作り方…安部公房、チャンドラー、松尾芭蕉、大江健三郎、尾崎豊…
100人の文体遊戯、文学度、サブカル度の濃度100%。
しっかり笑えるかどうかはあなた次第!(イラストも楽しんでください!)
もし文豪たちが カップ焼きそばの作り方を書いたら
神田 桂一 菊池 良